千二百年以上の歴史ある古刹
芝山仁王尊は芝山町の南部、主要道路から少し奥に入ったところにある歴史も古い大きなお寺です。正式名称は天応山観音教寺福聚院といい、宗派は天台宗。創建は奈良時代末の781年で、当時の日本はというと、平城京から長岡京へ遷都する準備をしていた頃ではなかと思われます。
まず仁王門へ向かう階段を上ると、屋根の裏側の細かな建築を見ることができます。通常、ここまで来ると両サイドに仁王像が睨みをきかせて立っているところですが、芝山の仁王様はひと味違って、仁王門の中の部屋に安置されています。こちらは撮影ができないため、そのお姿は直接現地に行ってご確認いただきたい。ちなみにこちらの仁王尊像は1388年の造立だそうです。
江戸の信仰トレンドは「火事泥棒除け」⁉
仁王門をくぐる途中で少し上を見上げてみると、江戸の火消しや消防関連の奉納の証跡がたくさんあることに気づきます。江戸、明治期には火事・泥棒除けの祈願寺として多くの庶民の信仰を集めていた為のようです。また、お隣の成田山新勝寺とともに参拝する「両山講」も当時の流行でした。そのため、かつてはこの参道には多くの旅籠や商店が軒を連ねていました。「芝山霊場志」という明治時代に出版された、いわば「明治版 るるぶ芝山」のような寺のガイド本があります。ここには旅籠や近隣商店の広告も多数掲載されていて、当時の芝山名物だった「梅ようかん」や「太郎飴」今も残る「力せんべい」、薬、雑貨、呉服や乾物など、この地域の経済が活況だった事を知ることができます。
令和の現在、参道には3件の旅籠の建物のみが残されており、少しだけ当時の空気感を味わうことができます。今後はこれらを有効活用するため地元の有志達が現在奮闘しています。
境内には江戸の有名人の石碑も
仁王門をくぐり境内まであがると、右手にはどっしりとしたフォルムの三重塔が見えます。先ほどの「両山講」に行った際の比較として、成田山の三重塔は流麗で煌びやかな雰囲気に対し、仁王尊のそれはシンプルな造形美と厳かさを感じます。例えるなら京都の金閣と銀閣のような対比になるのではないかと個人的には思っています。
また、境内にはいくつかの石碑があります。その中でもひと際目を引くのが江戸の火消し「を組」の新門辰五郎の石碑です。新門辰五郎と言ったら江戸火消しの元締めとしてしばしばテレビの時代劇にも登場していました。NHKの大河「徳川慶喜」では堺正章さんが、TBSの日曜劇場「JIN -仁-」では中村敦夫さんがそれぞれ演じていました。ちなみに堺さんは毎年行われるクラシックカーレース「ラ フェスタ ミッレミリア」に参加され、公式コースの芝山仁王尊下を颯爽と走り抜けて行かれてました。これも何かの縁でしょうかね。
芝山町では町中どこにいても航空機を間近で見ることができます。もちろんこの境内も例外ではありません。
時折頭上に大型航空機が飛んで来るこの景色は、ミスマッチながら現代と過去が融合された独特な空気感が漂っているようにも感じます。これはまさにここに来た人じゃなきゃ感じることができない体験なので、ぜひ多くの人に足を運んでいただい場所の一つです。
芝山仁王尊観音教寺 http://niouson.or.jp/